「障害」は誰の中にあるのか? 私たちが大切にしてきた「障害の社会モデル」という考え方

皆さんは、「障害」とは何だと思いますか?

例えば、発達障害のある子どもが、学校生活の中で困難を感じているとします。

その原因は、子ども自身の発達特性にあるのでしょうか。それとも、子どもを取り巻く環境や社会の仕組みにあるのでしょうか。

もちろん、簡単に答えが出る問題ではありません。

しかし、私たち人間力認定協会では、以前から大切にしてきた考え方があります。

それが、「障害の社会モデル」という考え方です。

今回は、私たちがなぜこの考え方を大切にしているのか、少しお話ししたいと思います。

もし、車いすで生活する人が多数派の社会だったら?

以前、私は障害の社会モデルを説明する際に、こんな例え話をしたことがあります。

少し想像してみてください。

もし、この世界で暮らす人のほとんどが、車いすを使って生活していたらどうなるでしょうか。

おそらく、社会の仕組みは今とは大きく異なるはずです。

家やお店の入り口は車いすで通りやすい高さや幅に設計され、キッチンや洗面台、トイレなども、車いすに座った状態で使いやすいようにつくられるでしょう。

スーパーの商品棚も、駅の設備も、学校の机も、車いすを使う人にとって便利な高さになるかもしれません。

では、そんな社会に、現在「標準的な身長」とされる、立って生活する人がいたらどうでしょう。

キッチンは低すぎて使いにくい。洗面台を使うには、毎回大きくかがまなければならない。公共施設の設備も、自分の体には合っていない。

周囲の人からは、「少し大変そうですね」「あなたに合う特別な設備が必要ですね」と言われるかもしれません。

つまり、その社会では、今の私たちが当たり前だと思っている身体の特徴を持つ人が、生活上の不便を抱える側になるのです。

ここで考えていただきたいことがあります。

その人の身体に問題があるのでしょうか。

それとも、多数派に合わせて設計された社会の仕組みが、その人にとっての障壁になっているのでしょうか。

この例え話には、私たちが考える障害支援の本質があると思っています。

「医学モデル」と「社会モデル」の違い

障害の捉え方には、大きく分けて「医学モデル」と「社会モデル」という二つの視点があります。

医学モデルは、障害によって生じる困難を、主に本人の心身の機能や特性に着目して捉える考え方です。

例えば、車いすを使用する人が階段を上れない場合、その人の身体機能に着目して困難を考えます。

一方、社会モデルは、本人の特性と、その人を取り巻く社会の環境や仕組みとの関係に目を向けます。

同じ場面でも、「なぜエレベーターやスロープがないのだろう」「階段以外の移動手段があれば、この人は困らないのではないか」と考えるのです。

つまり、障害によって生じる生活上の困難は、必ずしも本人の特性だけから生まれるものではありません。

社会の仕組みや環境が、その困難を大きくしている場合もあるのです。

もちろん、医学的な診断や治療、リハビリテーションなどが必要なくなるという話ではありません。

本人の特性を正しく理解し、必要な医療や支援を受けることは大切です。

ただ、それと同時に、「本人を変えること」だけを支援の目的にしてはいけないと、私は考えています。

発達障害のある子どもたちにも、同じことが言える

この考え方は、発達障害のある子どもたちへの支援においても、とても重要です。

例えば、じっと座っていることが苦手な子どもがいたとします。

一般的には、「集中力がない」「落ち着きがない」と評価されてしまうかもしれません。

そして、どうすれば長時間座っていられるようになるのか、という支援が考えられます。

しかし、社会モデルの視点に立つと、別の考え方が生まれます。

「そもそも、全員が同じ時間、同じ姿勢で座っている必要があるのだろうか」

「途中で体を動かせる時間があれば、この子はもっと集中できるのではないだろうか」

こう考えることで、支援の選択肢が広がります。

ほかにも、大きな音が苦手な子どもには、静かな場所で過ごせる環境を用意する。

言葉だけの説明では理解が難しい子どもには、絵や写真を使って伝える。

急な予定変更が苦手な子どもには、あらかじめ見通しを伝える。

どれも、子どもの特性そのものを変えようとするのではなく、環境や周囲の関わり方を変える支援です。

もちろん、子ども自身が新しい力を身につけたり、苦手なことに少しずつ挑戦したりすることも大切でしょう。

しかし、それと同じくらい、私たち大人が環境を変える努力も必要なのです。

子どもが社会に合わせることだけを求めるのではなく、社会の側も子どもに合わせて変わっていく。

私は、それが本当の意味での発達支援につながると考えています。

合理的配慮とは、特別扱いをすることではない

近年、「合理的配慮」という言葉を耳にする機会が増えました。

2024年4月からは、障害者差別解消法の改正により、民間事業者にも合理的配慮の提供が義務化されています。

この合理的配慮も、障害の社会モデルと深く関係しています。

例えば、文字を読むことが苦手な子どもに対して、読み上げによる説明を取り入れること。

集団の中では刺激が多すぎて学習が難しい子どもに対して、落ち着いて学べる環境を用意すること。

こうした対応を「特別扱いだ」と考える人もいるかもしれません。

しかし、私はそうは思いません。

人によって、得意なことも苦手なことも違います。必要な支援も違って当然です。

全員に同じ方法を押し付けることが、必ずしも公平とは限りません。

大切なのは、全員に同じ対応をすることではなく、一人ひとりが同じように学び、参加できる機会をつくることです。

もちろん、どのような配慮が適切なのかは、本人の希望や周囲の状況を踏まえながら、一緒に考えていく必要があります。

合理的配慮は、誰かを一方的に優遇するものではなく、その人が直面している障壁を取り除くための工夫なのです。

「普通」という言葉を、もう一度考えてみたい

私たちは日常生活の中で、何気なく「普通」という言葉を使っています。

普通はじっと座っていられる。

普通はみんなと同じ行動ができる。

普通は一度説明すれば理解できる。

しかし、その「普通」は、いったい誰が決めたのでしょうか。

最初にお話しした車いすの社会を思い出してみてください。

多数派が変われば、社会の仕組みも変わります。そして、そこに暮らす人たちの「普通」も変わるのです。

現在の社会で当たり前とされていることも、決してすべての人にとっての当たり前ではありません。

発達障害のある子どもたちと接するときにも、私たちは知らず知らずのうちに、大人や多数派の価値観を基準にしてしまうことがあります。

もちろん、社会生活を送るうえで必要なルールを学ぶことは大切です。

しかし、そのルールが本当に必要なものなのか、別の方法ではいけないのかを考える余地もあるはずです。

「この子はどうして普通にできないのだろう」と考える前に、「私たちが普通だと思っていることは、本当にこの子にも当てはまるのだろうか」と問い直してみる。

その視点があるだけで、子どもへの関わり方は大きく変わるのではないでしょうか。

子どもを変える前に、私たちが変えられることはないか

私たち人間力認定協会は、発達障害についての正しい知識を広め、子どもたちへの理解と適切な支援が広がることを願って活動してきました。

その根底にあるのが、今回お話しした障害の社会モデルの考え方です。

発達障害のある子どもたちが日々感じている困難のすべてを、社会の仕組みだけで解決できるわけではありません。

本人の特性によって生じるつらさもありますし、医療的な支援や専門的な療育が必要な場合もあります。

だからこそ、本人への支援と環境への働きかけ、その両方が大切なのです。

そして、私たちが忘れてはならないのは、子ども自身を変えることだけが支援ではないということです。

子どもが安心して過ごせる環境を整えること。周囲の大人が理解を深めること。学校や社会の仕組みを少しずつ見直していくこと。

それらも、子どもたちの可能性を広げる大切な支援です。

障害のある人を、今の社会に無理に合わせようとするのではなく、多様な人が自然に暮らせる社会をつくっていく。

そんな考え方が、もっと当たり前になってほしいと願っています。

最後に、皆さんにも一つ、問いかけたいと思います。

「この子をどう変えればよいのか」と考える前に、「この子のために、私たちが変えられることはないだろうか」と考えてみませんか。

その小さな視点の変化が、子どもたちの生きやすさにつながると、私は信じています。

一般社団法人 人間力認定協会 代表理事 井上智之

執筆者

一般社団法人 人間力認定協会 代表理事
井上 智之

【プロフィール】
一般社団法人 人間力認定協会 代表理事の井上 智之。30年にわたる教室運営を通して、多くの子ども・保護者・教育関係者と向き合う。比較や不安、教育現場の課題を目の当たりにし、一般社団法人 人間力認定協会を設立。現在は発達障害の療育・支援法の研究開発と情報発信に取り組み、「理解は支援の第一歩」を理念に、一人ひとりに合った支援と社会理解の普及を目指している。また、当協会では発達支援や心理に関する知識を体系的に学べる「児童発達支援士」「メンタルヘルス支援士」などの資格講座を提供しており、これまでに延べ5万名以上の方が受講している。

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