発達障がい者という言葉のない世界
今回のシリーズでは、あえて「障害者」「障がい者」という二つの文字を混在させました。最近では障碍者とも書きますが、このように障がい者を取り巻く環境自体がいろんな意味で過渡期を迎えていると私は見ています。
障害者・障がい者・障碍者
障害という文字を辞書で引くと「障」とは「さわり」と読み、さしつかえる。さわる、邪魔をする、隔てる、妨げる、遮るという意味があり、「害」とは「悪い結果や影響を及ぼす物事」とあります。最後に「者」がつくと、「そのような人」となります。当人やその家族にとって、とても残念で残酷な言葉ですよね。
「障害」(障がい)という概念はどこから生まれるのか
しかし、それは必然的に生まれる概念です。神を語るには悪魔が必要、善を語れば悪が、正しさを語れば不正が、プラスにはマイナスが、陽キャには陰キャが必要とされるのです。コインに表と裏があるように、この世に存在するには相反する二つが同時に必要になるのかもしれません。
この世は神と悪魔を必要としている
神を崇拝するには悪魔が邪魔をしているような残酷な現実が必要です。神様しかいない世界で誰が自分のことを神様だと気づくことが出来るでしょうか。明るい性格の子しかいない教室で、誰があなたのことを「陽キャ」だね、なんて呼ぶでしょうか。つまり障害という概念は「普通」という概念がある世界では必然的に生まれる概念なのです。
良い人ほど他者を攻撃する
ルールを守る人はルールを守らない人が嫌いです。何かを信じるとほかの何かを疑います。国が正しさの主張を続けると正しくない国と戦争が起きます。正義感の強い人が桃を食べると必ず鬼退治をしたくなります(笑)。普通とか常識(コモンセンス)を信じる人が多くなると、それに従わない人や従えない人を「害」と考えてしまうのです。そのような経緯で「障害者」という言葉を使うようになったのでしょう。
あの人は正しい、私も正しいという考え方
仏教では拘(こだわ)りが強いとこの世は「一切行苦」といいます。あらゆる物事に執着しすぎないというのが楽な生き方なのかもしれません。私は正しい、あなたも正しい。一見、矛盾しているようですが、「害」を生み出す概念を取り払うにはこの矛盾がどうしても必要なのです。
IT技術で障害が障害でなくなる
とは言っても、世の中のコモンセンスが変わるにはまだまだ時間がかかりそうです。子どもたちはそれまで待ってはくれません。でも、心配はありません。技術力の進歩は明らかにこの世から毎日ひとつずつ「障害」を取り除きつつあります。
テレワークの技術は、障がい者の就労問題の大部分を解決しましたし、昨今のスマホの普及もまた、様々な障害を乗り越える糧となっています。それらの情報に敏感になり、積極的に活用してください。
発達障がい者(自閉症・ADHD・学習障害)の意識改革とその支援
発達障がい者自身には意識改革が必要です。「障害」について知ることは必要ですが、必要以上にフォーカスすることなく、努力することが求められますし、その周囲にはほかの子とは少しだけ違った支援が求められるのです。そうすれば、障害は技術力で乗り越え、意識は本人と周囲の人の支援によって成長していきます。
そうこうしているうちに世の中のコモンセンスも変わっていることでしょう。そして、その時には発達障害という言葉が死語となっていることでしょう。そのような世界を一緒に作っていきましょう。
結論:発達障害(自閉症・ADHD・学習障害)という言葉のない世界へ
技術力の進歩でほとんどの障害が乗り越えられる社会になりつつあります。私たちはあらゆることに多面性があることを理解し、強いこだわりを手放せばこの世はとても幸せに満ちていることに気づくはずです。子どもたちの意識改革と努力を支援し、共に生きやすい、新しい社会を実現させましょう。(一社)人間力認定協会と児童発達支援士資格はこの新しい社会の実現に貢献していきます。