【受講者インタビュー】良い母親になろうとしていたがそれは親の役目ではない

今回は、ヴォイストレーナーをやられている支援士の方のインタビューをご紹介します。この方が感じた「良い母親になろうと必死だったけど、それが親の役目ではないと気づいた」という点は多くの方が自らに置き換えて考えることができる、気づきのひとつだと感じました。是非インタビューを最後までご覧ください。

インタビューを受けて下さった宮﨑さんのご紹介

今回インタビューを受けてくださったのは、宮崎さんという女性の支援士です。

宮﨑さんは養護教諭を経てヴォイストレーナーに転身されたという面白い経歴をお持ちの方です。娘様が中学校1年生のときに、ADHDとLDであることが分かったというご経験をお持ちです。保護者としての視点と、養護教諭としての視点、ヴォイストレーナーとしての視点、それぞれを冷静に分析されており、とても学ぶべき点が多いインタビューとなりました。

それではさっそくインタビューを御覧ください。

宮﨑さんへインタビュー

児童発達支援士を受講するきっかけ

元養護教諭(保健室の先生)経験を経て、ヴォイストレーナー25年目になります。このヘンテコな履歴でヴォイストレーナーは稀だろうと思います。でもボイトレで生徒さんたちと関わるうちに、私の養護教諭としての知識はボイトレにはとても大切なものであると実感しながらの25年でした。

そんな中、現在18歳の長女が中1でADHD+LDであることがわかり、2人3脚でウロウロしながらも発達障害について知識を深めていくうちに、音楽に卓越したセンスを持ちながらも生き辛い毎日を送っているボイトレの生徒さんたちにも思いが重なることに気づきました。親御さんからの相談も多く、ヴォイストレーナーとして本当に必要な知識は音楽スキルよりも、もしかしたらこちらの方では無いかと深く思うようになりました。

発達障がい児支援をしていて最も辛かったことは

中学2年で二次障害が発症した時、合理的配慮が全く対応していただけなかったことです。

授業についていけず、睡眠障害で眠くなると叱られ、集中力がなく団体行動のできない長女は、男の先生の怒鳴られる指導にパニックを起こしトイレに閉じこもる毎日。その度に仕事中に呼び出され、彼女がどうしてこうなるかを先生にお話ししてもなかなか理解していただけず。通級の要求も通るのに1年かかりました。診断を受けて1年も経つのに個人年間指導計画もなかった学校でした。

自分自身がどんなに発達障害の勉強をしても、学校側の支援のあり方や、先生方の言葉かけを考え直していただかないとどんどん酷くなっていく一方でした。1年かけて学校と掛け合って、合理的配慮が成されたときには卒業でした。今思えば、学校に通うことに親子で固執していたな、と思います。

発達障害に関する知識を習得し何か変わりましたか

二つ上に長男がいます。社会に出ても恥ずかしく無い大人になってほしいと。彼だけはと厳し目に育ててきた長男に対して、彼にも同じ接し方でいいんだと思えるようになったことです。長女なりのしんどさがあるのなら、長男なりのしんどさもある。そう考えると、少々生真面目だった自分自身にも優しくなれた気がします。

悩んでいる方に何かアドバイスはありますか?

自分がちゃんと躾ができない母親だと思われるのではといつも周りを気にしていた気がします。そんなことより、学校に行けなくても、授業が受けられなくても、家族との空間が彼らにとって一番居心地の良い居場所を作ってあげることこそがこれからの子どもの未来を変える方法で、親としての役目だと伝えたいです。

発達障がい児の支援を行う上で大切だと感じていることは

点字ブロックや音付き信号、手話通訳やエレベーターなどに加えて、発達障がい児への合理的配慮も当たり前の学校や世の中でなければならないと感じます。

また、通級や支援学級に通うことが、普通学級に復活させる経過ポイントだという認識の学校があまりにも多すぎると感じました。そうではなく、どのような子どもたちも、学校に通い楽しく学ぶ権利があることを訴えたいですし、理解されると良いなと思います。

感想:普通とは何か・・

ここまでが宮崎様に頂いたインタビュー内容となります。

いかがだったでしょうか?きっと同じような境遇で悩んでいらっしゃる方が、今後同じような道を歩むかもしれないと想像された方などいらっしゃったのではないでしょうか?発達障がい児や障害児を育てている保護者にとって、小学校に上がると支援級・通級・普通級という悩みの種が生まれるのではないでしょうか。

宮﨑さんもインタビューの中でお話しくださいましたが、

「通級や支援学級に通うことが、普通学級に復活させる経過ポイントだという認識の学校があまりにも多すぎる」

この点は、確かに多くの方から似た意味のお話をよく伺います。ここで考えなければいけないのは、「普通に近づける」ことを目指すか否かです。普通があるから障害がある。天使がいるから悪魔がいる。悪があるから善がある。このように、この世に存在するには相反する二つが同時に必要になるのかもしれません。そういった意味で「普通」という表現があることは仕方ないことかもしれませんが、発達障害の特性を持つ子にその「普通」を目指させる事は本当にその子のためになるのでしょうか?それこそ宮﨑さんがインタビューで答えているように、

自分がちゃんと躾ができない母親だと思われるのではといつも周りを気にしていた」

ここに繋がるのではないでしょうか?保護者も私もあなたもひとりの人間です。生身の人間です。そんなに強くありません。考えも常に崇高なわけではなりません。時には間違うこともあります。それでいいのです。どこかで誤りに気づき、行動を改める。そこに価値があると感じます。

だからと言って「普通」を目指したら100%不幸になるよ。なんてことは言えません。逆に「普通」を目指さなければ100%幸福になるよ。これも言えません。しかしどちらの方が我が子のためになるのか、我が子が笑顔で毎日を送るためにどうしたらよいのか。そこを常に追い求め、さまざまなことを試していくことはできます!

そのために当協会では、このようなインタビューを通じて皆様に気づきを促したり、意見交換会をおこなったりしております。

我が子にあった方法を一緒に模索していきましょう。固定観念に縛られず、広くやわらかな心で一歩引いた場所からものごとをみてみましょう。何か発見があるかもしれません。

【まとめ】良い母親になろうとしていたがそれは親の役目ではない

いかがだったでしょうか?宮崎さんのインタビューをきっかけに、皆様の子育てに光がさすことを祈っています。

一緒に方法を模索していきましょう!支援士になった皆様は一人ではありません。約5000名の仲間がいます。きっとそこにヒントや出会いがあると思いますよ。

いつもご覧いただきありがとうございます!これからもよろしくお願いします。

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