講演「非認知能力で人は誰でも幸せになれる!」 part2

今回は、2022年1月15日に長野県社会福祉事業団様主催の「こまくさ教室公開講座」にて講演をさせて頂いた際の、講演内容をブログでもお送りいたします。受講者の皆様には、実際の講演音声をプレゼントしておりますが、より多くの方に共有させていただきたいという思いで、ブログでも紹介をさせて頂きます。講演の一部を抜粋し「part1~part3」の三部構成でお送りしますので、お楽しみください。

こちらは三部構成の第二部の内容となります。では御覧ください。

>講演「非認知能力で人は誰でも幸せになれる!」 part1
>講演「非認知能力で人は誰でも幸せになれる!」 part3

自尊心・自己肯定感の育て方

これはあくまでも私の個人的な見解ですが、自己肯定感の中心にある自尊心を高める方法は今から紹介する2つが最重要だと考えます。

ひとつは「興味に刺激された活動時間の蓄積」と、もうひとつは「信念(正義)の継続」です。繰り返します。自尊心を育てるには「興味に刺激された活動時間の蓄積」と「信念(正義)の継続」これが大切です。

興味に刺激された活動時間の蓄積

一つ目の「興味に刺激された活動時間の蓄積」についてご説明します。

興味を刺激されることを見つけ、そこに集中する時間を継続的に持つことで自尊心が育つのです。簡単に言うと「自分が大好きなことに集中する時間が自己肯定感を育てる」のです。その時間の蓄積が多ければ多いほど「自尊心」「自己肯定感」は育ちます。

しかし、今の日本の子どもたちの置かれている状況はどうでしょう?学校に部活、塾にと大忙しです。

先ほどのアンケート結果を思い出してみてください。子どもたちの92.5%が自分に価値がないと考えているのですよ。

勘違いしないでくださいね。自尊心というのは「自分に何かができる」とか「人に勝る何かを持っている」から育つのではありません。自分が大好きなことに没頭する時間を多く持てた子どもが自尊心を育てることが出来るのです。

この話をしているとお母さん方は私にこういってきます。「それを子どもたちに言ったら一日中ゲームばかりをやるようになります」

その通りかもしれません(笑)。

しかし、「本当にゲームに興味を刺激されているかどうか」が問題です。

宿題から逃れるため、口うるさい親から逃れるため、何かと面倒な現実から逃避する為にゲームをやっているのであれば、それは興味に刺激された行動とは言えません。

しかし、実際は私の経験上、子どもたちと外でキャンプしたり、川遊びしたり、様々な刺激的な体験をしているときまで、ゲームを手にする子はほとんどいません。つまりほとんどの場合、ゲームは子どもたちの退屈な時間つぶし、現実逃避のレベルであって、興味を刺激されるものではないということです。

親や教師の最大の務めとは、「その子の興味を刺激するものを、一生をかけて探し続ける」ことなのかもしれませんね。

アメリカの、ある小学校の教師が、「私たちの一番重要な仕事は、子どもたち、一人一人にあった推薦図書を提案する事なんです」と言ったのを思い出します。日本でも推薦図書はありますが、学年ごと全員共通ですよね。それを生徒一人一人に担任が示すとは、どれほど大変なことなのか想像できます。

その子の興味があることを探しているんですね。

信念(正義)の継続

次に、自尊心、自己肯定感を育てるもう一つの方法、「信念(正義)の継続」について説明いたします。

簡単に言うと「自分が正しいと信じることを日々できているかどうか」です。私の言葉で言うと日々、「正義の継続がされているかどうか」ということになります。

極端な例かもしれませんが、ここで私が小学校のPTA会長をやっていた時のエピソードを紹介いたします。

PTAの常任委員会の席上、一人のお母さまから校長先生に対して相談をされました。「子どもから聞かれて、お母さまはどうすべきか答えられなかったというのです。内容は次のようなものです。

「下校時、学校から離れた通学路で友達が上級生から集団でいじめにあっていた。この場合どうすればいいの?」というものでした。

校長先生のお答えは「まずは近くにいる先生を呼びに行く。先生がいなければ大人の人に助けを求める」と言うようなものでした。

しかしながら、いじめというものは大体、先生や大人の目が届かないところで行われるものです。そのお母様も「誰もいないとき、どうすればいいのですか」と校長先生に詰め寄りました。結局その話は、大人を呼びに行くということで半ば強引に落ち着きました。今の教育現場の難しさだと思います。

子どもたちの頭の中のヒーローならきっと、迷わず「友達を助ける」ことが出来るでしょう。

しかし、現実はそうはいきません。返り討ちに遭って巻き添えをくう可能性があります。

しかし、逃げるようにその場を立ち去ってしまうと、その子の「信念の継続、正義の実行」がされず、心の奥に「卑怯者」「臆病者」というレッテルを自ら貼ってしまいます。これが厄介なのです。そのレッテルが、その子の人間力、パワーを奪ってしまうのです。

私が子どもたちにいつも言ってきたことを参考のためにお話ししておきます。

「何か決断に迫られた時、どうすることが人として正しいか、自分の胸に手を当てて考えてごらん。そして自分が正しいと思うことをやればいい。どうするかって?それはその場にいなきゃわからない。だからその瞬間、瞬間、自分で考えるしかないね。ただ、心が正しくあれば、必ず最善の方法は見つかるよ」こんな感じです。

ただし、これはなにも「これが正解」と言うものでなく、それぞれが親子で話し合うべきことなのです。「人の道」と言いますか、「嘘はつかない」とか「人に親切にする」とか「困った人を助ける」とか、人として優先すべきことはしっかりと普段から話し合うべきです。もっというなら「教育」と言う言葉の本来の意味は、「人の道」を説くことであり、勉強とは関係がありません。

話を戻しますが、いじめを目撃した話で言うと、子どもたちにどうすべきかの方法論をどれだけ教えてもあまり意味がありません。状況は常に複雑ですから。そうではなく、「心の道しるべ」となる考え方をしっかり叩き込むようにした方がいいでしょう。

さらに、方法論を教えすぎるという行為は、子どもの尊厳を無視した行為で、自尊心の成長を妨げるということを肝に銘じておいた方がいいでしょう。

さきほど校長先生が困ったように、どうするかなど、実は正解がないのです。

今のお話と関連のあるお話をもうひとつさせて頂きます。

まこと そーけー なんくるないさー

「なんくるないさー」という沖縄の方言です。皆さまも聞いたことがあると思います。

これは、「なんてことないさ」「大したことじゃないよ」と言うように理解されていますが、実は違います。沖縄の若い人もほとんどこのように理解していますが違います。

この言葉は儒教にでてくる定型句で、完全にいうと「まこと そーけー なんくるないさー」といいます。「まこと そーけー なんくるないさー」

沖縄の方言が混じっているのですが、意訳すると

「あなたがどんなに困難にあっても、人として正しい道を選択したら、必ずあなたのいるべき道に戻ってこられますよ」と言う意味になります。

私自身、何度もこの言葉に救われました。まさしく信念・正義の継続ですね。

ここでおさらいをします。自尊心(自己肯定感)を高める方法をふたつ紹介しました。

①興味に刺激された行動時間の蓄積
②信念・正義の継続

認知能力(学力・IQ・記憶力)は主に学校教育によってもたらされます。

これに比べ、非認知能力は主に家庭などの環境によってもたらされるので、その実なかなか大変です。

幸せ(幸福)の定義とは

本日のテーマが「非認知能力で誰でも幸せになれる」ですから幸せ、幸福についても触れておく必要があります。

子どもたちに「幸せって何?」と聞かれたら何と答えますか?

もしくは、「お母さんは幸せ?」とか「僕は幸せになれるかな?」と聞かれたらどう答えますか?考えてみてください。

定義しましょう。資料にも書いてありますが、

幸福とは「今あるものに感謝している心の状態」であり、不幸とは「今ないものに執着している心の状態」です。

これだけです。

私には子どもがいる。小さいけど住む家がある。少ないけど安定した収入がある。3食食べる食料がある。トイレがある。トイレに歩いていける足がある。いつも心配してくれる母がいる。清潔な水の水道がある。車がある。ある ある ある。

この、あるものを言葉に出し続けると、ある種の感情が沸き起こってきます。これが「幸福である心の状態」です。あとでやってみてくださいね。しばらく数えていると涙がこぼれてきます。そして「ありがとう」って感謝します。

一方、不幸とは「今ないものに執着する心の状態」と言うことが出来ます。お金がない。健康な体がない。両親がいない。友達がいない。心配してくれる人がいない。自信がない。誇りもない。ない ない ないと言い続けているときの心の状態、これを不幸と呼ぶんですね。

「幸せになるのは難しい。ただ、幸せであることは簡単だ」

なぜ幸せになるのは難しいか?

幸せになりたい、と言った瞬間に、あなたの思考は、「幸せではない今の自分を必要とし、それを探し続けます。お金がない。自由な時間がない」などの不幸を数えだすからです。

「障がいをなくす」「お金持ちになる」「一日好きなことを過ごす」などなど、、、、、、、、

「今ないもの、今できないものに執着する心の状態」を作り出してしまいます。

それに比べ、何故、「幸せである」ことはなぜ簡単なのか

「今、幸せである」と言えば、あなたの思考は、幸せな理由を探し続けます。「勉強はしないが愛を与えられる子どもがいる」「小さいながら家がある」「給与は多くはないけど安定した職がある」「運動会では勝てないけどトイレに駆け込める足がある」「朝から顔を洗うためのきれいな水がでる水道がある」、、、、、、、ある、ある、ある、たくさんのあるが「ある」

これらのあるを数えているときの心の状態、それを幸福と呼ぶといいました。

繰り返します。

幸福とは「今あるものに感謝している心の状態」

自己肯定感を高め、自分は価値ある人間だと信じることが出来、今あるものに感謝をすれば、人は誰でも いつからでも幸せになれるのです。

仏教においても、お釈迦様は「物事に執着すればこの世は一切行苦」と説かれています。富や名声、健康、愛、執着すればこの世は地獄と言っているのです。なぜかというと、これらは、手放す時が、必ず来るからです。

【まとめ】講演「非認知能力で人は誰でも幸せになれる!」 part2

今回は、自尊心・自己肯定感の育て方。そして、幸せの定義についてお話をさせて頂きました。

これらはこの世にある絶対的な真実と言う意味でお話しているわけではありませんので、その点はご理解ください。あくまでも当協会の理事長である私の考えというようにとらえてくださいね。でも、大切なことは一定の定義をすることです。定義をしていないにもかかわらず、それを追い求めるという行為は非常に苦しいものです。永遠にゴールのないマラソンを暗闇の中で走っているようなものです。どう考えても辛いでしょう?そこで定義をするのです。マラソンの例で言えばゴールともいえるかもしれません。

そこが大切です。ここでお話ししたことが皆様のお役に立てれば幸いです。

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