第十七回 児童発達支援士 意見交換会の実施報告

2月4日に開催された意見交換会の実施報告をさせて頂きます。今回もとても有意義な時間となりました。皆様ありがとうございました。ここで紹介している内容が皆様のお役に立てば幸いです。

意見交換会議事録

ここからは今回の意見交換会の質疑応答時に、実際にお話のあった内容をご紹介していきます。お客様の言葉をほぼそのままの表現で紹介させていただきます。(個人情報保護のため一部表現を変えている箇所がございます)

質問者

○○さんは療育に助けられて、現在小学校2年生のお子さんが通級でも大丈夫だと言われた経験をお持ちということなんですが、療育には実際に何歳から通い始めて、どんなことをして、成長を感じたエピソードなどがあれば教えていただけますか?

回答者様:知的の支援級に入りまして、小学校に入ってからは大丈夫そうですねと言われたのですが、私は学習的には大丈夫かなと思ったのですが、情緒的な面が不安だったので情緒級(自閉症・情緒障害特別支援学級)を希望しました。ですが、今度は教育委員会のほうから普通級でも大丈夫ですか?というようなことを言われて、小さい時には癇癪がひどく大変だったのですが、療育を受けながら成長していくにつれ、結構心配性というか不安が大きい子になるという変化をしているので、私は支援が必要だと思い教育委員会にもお願いをして情緒の支援級に入れてもらえることになりました。

なので実際にはまだ普通級に行った訳ではないのですが、WISCや田中ビネーでは普通級でも大丈夫ですねと言われるまでには成長しました。ですが心配な面もあるため、まだ支援級にいる状態です。

2歳から親子通園の療育に通い始めました。今は様々な療育のパターンがあると思うのですが、通っている所はマジックミラーの部屋から親は見ている状態で、先生がされている療育の仕方や関わり方などを間近で見ることができました。療育が終わったら、こういう事をしました。こういう事をしたらこういう風にできましたという話を聞くことができました。

毎日様々なことを学べて、情緒面は成長したのですが、発語がなかなかできず療育に通われている他の保護者の方からリハビリも通ってるという話を聞いて、3歳から言語聴覚士のSSTと作業療法士のOTの先生にも月2回通っていました。

そこから凄く話せるようになって、4歳の時には子どもが「4歳になっちゃった~」と言えるくらいになっていて、私はすごく感動した瞬間でした。小学校まで親子療育とリハビリに通っていました。通ってとても良かったと思っています。

また、療育に通っていて教えてもらったことや先生がやっていたことを自宅でも真似をして同じように行っていました。その次の療育の時に先生にこういう事をやってみましたと報告をしながら、ある意味私自身も認めてもらいながら次どうしたらいいのかアドバイスをもらいながら、出来ないこともありましたが出来る範囲で、自宅でもやってみたら成長していきました。


質問者
お子さんが発達障害だと診断された方が何人かいらっしゃいました。私が勤務している放課後ルームでも、多動の可能性があるお子さんの親御さんに対して、そのようなことを言うと「自分の子どもは絶対にそんなことはない」と否定的な意見を頂くことが多々ありまして、発達障害を受け入れて診断するまでの間の親御さんの気持ちなどをお聞きしたいです。
回答者様:3人目の子どもが今、中学2年生で小学校1年生の時に自閉スペクトラム症と診断を受けました。私は受け入れるまでとても時間がかかりました。やはりこうあるべき、こうやらせないと、こうだよねと思うことは心のどこかにありましたが、子どもが成長するにつれて、どうして分かってくれないのと子どもとぶつかり合う時期が思春期以前の小学校中学年くらいからありました。私が受け入れることから少しずついい関係になり始めました。

回答者様:私も○○様と同じで受け入れるまで時間がかかりました。私の子どもの場合は小学校2年生の女の子が1人、2歳くらいから言葉の吃音があったので、療育センターのSTのトレーニングに行っていたのですが、先生から検査をしてみたらどうかと言われて、その時に検査を受けてみてもグレーゾーンと言われて、数値を見てもそのラインまではいかないがちょっとデコボコが見られる状態でした。母子手帳などを見ても全部丸がつきますし、何も困っていないのに何で言われるんだろうと、先生に対する嫌悪感みたいなものを感じていました。幼稚園のころは普通に過ごせていたり、療育にはならず言葉のトレーニングだけで、吃音だけで発語はあるのでそれほど困ってはいませんでした。

子どもも1人だけでコミュニケーションも取れていたので、家の中ではまったく困っていなかったのですが、だんだんとこれが園の生活が増えるにつれて、園の先生からは大丈夫だよと言われても、たまに見学に行くところころと転がっていたりしていました。その園が寛容な所で、この子は自由人だからと言われてそれで済んでいました。周りのママ友に普通だよ、気にしすぎだよと言われるのを信じてそのまま過ごしていたのですが、小学校に入学するタイミングでまったく別の場所に引っ越しで行くことになりました。

その誰もいない地域になった途端、子どもが変わってしまって学校の中にも入れなくなったり、表情がまったく変わったりして、そこまで皆の中で普通に過ごしていたものが、平仮名の書き方、算数の概念が分からないとなった時に真面目に関わらないといけないと思い、そこから重い腰を上げた感じでした。

2歳からもっと分かっていればよかったのですが、私がこの子は普通だという思いが抜けずに小学校になって先生との対応が難しくなったり、子どもはADHDとASDがあるので学習障害と言われてはないのですが、書き順がぐちゃぐちゃだったり、字の大きさがバラバラだったりという事がたくさん見えてきて、勉強すればするほどこの子はこんなに大変なんだとようやく分かり、この子のことをよく見てこの子の辛さを受け入れてあげようと思ってようやく受け入れることができました。

色んな先生にかかったり、専門家から言われても信じられず、ママ友の声ばかり信じていていました。ここは私も難しいと思うのですが、子どもの様子を見て、子どものことが分かると勉強しようとも思ったし、前よりもすんなりと話が聞けるようになりました。学校に行けずともこの子のことを見てあげようと気持ちが変わったので、どうすればいいのかという点は本当にとても難しいのですが、人それぞれ受け入れるまでの時間に差があるのかなと私の経験から思います。
回答者様:私は産まれる前からADHDかなと思っていて、元気ならいいかなと思っていました。実際に産まれてから、特徴が見られても「そうだよね」と思い、受け入れるまでに抵抗が無くすぐに受け入れることができました。

困りごとなどがあったら、特性を理解していければいいかなと思っていましたが、実際に関わるとどうすればいいのだろう、どういう対応がいいのだろうという点が知りたくて受講しました。

1歳か2歳くらいの頃に保育園の先生から、他のお友達が出来ることでお子さんに出来ないことがちょっとあると言われて、出来なくてもおかしくない時期でもあり先生は何を伝えたいのだろうと思ってました。特性は理解しても対応ができなかったり、どこへ行けばいいのかも分からない状態だったので、もしできるなら保育園の先生にこういう特性が見られて困ったことがあったらこういう所に行ってみるのがいいですよとか、療育というものがあって病気の有無に関係なく、スキルを高めることができる場所があることを教えてもらえたら、1回行ってみて反応を見てから続けるかどうかを決めることもできます。

ですので、こういう特性が見られます。で止まるのではなく、その先の困ったことがあったらこういう所に相談してみるといいですよと言ってみるのも良いかと思います。


質問者

私は勉強を始めたばかりで分からないことだらけなのですが、3人子どもがいて一番下の子どもが当てはまることがすごくたくさんあって、発達障害なのではないかと疑い始めているところです。皆さんの話を聞いていて、癇癪という言葉がよく出てきます。癇癪を持っていてすごい大変な時期があって、癇癪持ちの子どもは発達障害に繋がっているのかなと思っていて、もしよかったらその辺りのことについてお聞きしたいです。

回答者様:私の子どもの場合、子どもが癇癪という意識を持ってやっているイメージがあって、やりたくてやっている訳じゃないというのをすごく感じていました。ADHDを持っていて、衝動が強かったりコミュニケーションが上手くいかないことで自分の意志が伝わらなかったり、相手に理解してもらえない。暴れたり問題行動をする時は絶対に理由があって、行動を探ったり様子を見ていくと理由が分かるようになっていくと思います。

子どもの場合は幼稚園の頃から他害がとても酷かったり、後から分かったのですが今はもう改善済みですが愛着障害があったので、人の中に一切入れずに集団生活ができませんでした。小学校2年生の時に支援学校に見学に行ったら人数が少なすぎて、逆に駄目になるんじゃないかと思って一度保留にして4年生まで様子を見ていましたがやはり駄目でした。このまま中学校に行っても子どもがもっと人と関わるのが難しくなるんじゃないのかと思って、その時点で先生にお願いして支援学校に編入するようにしました。

知的はないので、支援学校に入って他害をする中で子ども自身もどうすればいいのか分からず、すれ違うだけのご老人や小さい子にさえ飛び掛かるような子でした。

テキストでいう応用行動分析なのですが、主治医がペアレント・トレーニングをやっていたので、それを徹底的に8年間学んできて誉めるポイントや行動を分析してどこに誉めるポイントがあるのか探して、子どもが暴れたことには注目せずに前後に注目したり、肯定の言葉を使ったりしてとても時間がかかるのですがちょっとずつの積み重ねを続けていき親が変わって、子どもが変わっていきました。

回答者様:私は仕事で、小学校で発達障害の子と6年間関わってきました。一番初めに出会った子が自閉症でとても大変な子がいました。私は客観的にその子としっかり向き合えたのですが、やはりお母さんが客観的に見れない部分があって、お母さんは受け入れられてないんだろうなと思う部分があって、学校での様子を見たくなくて授業参観を物陰から見ていたり、中々近くで見ないことがありました。その子は自閉症が強く、学校では喋れませんでした。名前も言えず、お友達も名前も言えなくて教室にも居れなかったので、その子が兎が好きだったので手をつないで飼育小屋の周りをわらべ歌を即興で2人で作りながら歌い、周っていました。また、絵本が大好きだったので絵本のフレーズを使って抜き足差し足忍び足と遊んでいたりして授業を気にせずに関わっていたら、ある日突然「先生お願いします!一緒に遠足お願いします!」って言われた時には本当に涙が出そうでした。

歩くのも大変だったので一番後ろで、その時も2人で一緒にわらべ歌を歌いながら秋の遠足に行きました。その子は今6年生でお母さんも受け入れてくれていて、今日は持久走を頑張ったんです!なのでお母さんと一緒におつカレーを作ります!と言ってくれて私とも普通にコミュニケーションを取ってくれたことに感動しました。そういう出会いがあって、こういう仕事を続けていてよかったなと思います。

【まとめ】第十七回 児童発達支援士 意見交換会の実施報告

今回も貴重なお話をありがとうございました。

保護者のリアルな気持ちをお話しいただけて、支援関係の仕事をされている方にとっては非常に貴重な情報を得られたのではないでしょうか。また癇癪に関しても具体的なお話が沢山ありました。癇癪は「伝えたいことがうまく伝わらない!」ことから起こることが多いとされています。そのため、子どものこと、障害のことをよく理解し、観察することで対処法が見えてくるかもしれません。一瞬で全てが変わる魔法はありませんが、ひとつひとつの積み重ねで着実に少しずつ子どもたちも変わっていくでしょう。

次回は三月開催となります。招待メールが届いた受講者の方は是非ご参加ください。

ありがとうございました。

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